水俣病救済法成立、あらたな始まり
水俣病救済法が7月8日、参議院本会議で可決され成立しました。
第2の政治決着の問題点は既に「水俣病救済法、成立へ」でまとめた通りですが、集団訴訟の歩みにとってはまた別の意義があるでしょう。
まず一つは最高裁判所が果たした役割です。
関西水俣病最高裁判決(平成16年10月15日判時1876号3頁)は、国と熊本県の規制権限不行使の違法を正面から認めました。
この時点で既に当時の村山連立内閣が水俣病患者に対してあわびを表明し、チッソとの間でも協定書が調印されていました。
ですから、既に高裁段階で原告と企業が和解していたクロロキン薬害事件において、最高裁が「極めて限界的な事例」(調査官解説)と指摘しながら国の責任を認めなかったのと同じように、水俣病訴訟でも「政治決着済み」であることで、国を免責する方向に傾きかねない(もちろん判旨に出ないにせよ)ところでした。
しかし最高裁は正面から検討して、国の責任を認めました。
「人の命と健康」がかかわる場面で、司法が積極的に判断していく姿勢を最高裁が打ち出し、それが第2の政治決着を引き出したということができます。
2つめは、機能不全を起こしている行政(官僚組織)を、国会が立法によって正していくという手法です。
ハンセン病訴訟、中国残留孤児訴訟、薬害肝炎訴訟と、行政が踏み出せないときに司法判断を参考にしつつ、国会は特別措置法などの立法によって被害回復の道筋を付けました。水俣病訴訟でも採用されたこの手法が、定着しつつあると指摘できるでしょう。
3つめは、半世紀に渡る水俣病問題が新たなステージを迎えたということです。
集団訴訟の先駆けとも言われる「4大公害訴訟」の一つである水俣病訴訟は、1967年6月に新潟水俣病訴訟が、1969年6月に熊本水俣病訴訟が提起されました。
その後、未認定患者の救済を求めた「第2次訴訟」、国の責任を問うた「第3次訴訟」、そして関西水俣病最高裁判決と、今日まで紆余曲折を経ながら闘われてきました。
訴訟を継続している原告弁護団は第2の政治決着に合意していませんし、残された課題(賠償額、訴訟の取り扱い、被害実態調査)が山積しています。
水俣病救済法の成立は最終的な解決ではなく、問題があらたなステージを迎えたことを意味するだけであり、集団訴訟としての歩みはこれからまだ続いていくことになるでしょう。






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